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2015年06月01日

井伊直政 「赤備え」の徳川最強軍団率いた猛者 政治交渉でも手腕を発揮

井伊直政 「赤備え」の徳川最強軍団率いた猛者 政治交渉でも手腕を発揮


 東京都世田谷区の豪徳寺に、桜田門外の変(1860年)で斬殺された大老、井伊直弼(なおすけ)の墓がひっそりとあり、広い敷地の一番奥のためか、夏でも寒気を感じるのだが、この寺でよく知られているのは招き猫で、招福殿脇には奉納された招き猫がぎっしり並ぶ。彦根藩主、井伊直孝が猫に招かれ雷を避けた逸話が残る井伊家の菩提寺(ぼだいじ)だ。

 直孝の父は徳川四天王の一人、井伊直政。直政隊は甲冑(かっちゅう)を朱色で統一し「赤備え」と恐れられた“徳川最強軍団”で、関ケ原の戦いでも見事に奮戦した。直政はそのときの鉄砲傷が悪化し、1602(慶長7)年に死去。戦場に生きた純粋の武人のイメージだが、彦根城博物館学芸員、野田浩子さんは「政治交渉でも徳川家康の片腕として活躍した。特に黒田長政と個人的に信頼関係を築き、関ケ原の戦い前には、長政を介して豊臣秀吉配下の大名の多くを味方に引き入れた」と指摘する。

 長政は軍師官兵衛の嫡男。現存する書状などで、直政と長政のやり取りは分かるが、直政が長政を取り込もうとした真意までは分からない。ただ、両将が理性的な人物であったとは想像できる。謀略を駆使し打算で動くか、逆に感情的な人物は、いざというときに計算できない行動に出る可能性があり、そういうリスクは回避したかった。

 また、関ケ原の戦いでは、娘婿で家康四男の松平忠吉とともに、先鋒(せんぽう)・福島正則の前に出て開戦の火蓋を切った。あえて抜け駆けし、大勢の豊臣武将が参戦したこの戦いで、徳川勢が重要な役割を果たしたことをしっかりと示した。



 ■井伊直政(いい・なおまさ) 1561~1602年。遠江出身。今川氏家臣、井伊直親の長男。関ケ原の戦い後は、高崎12万石から彦根18万石に加増。

http://www.sankei.com/premium/news/150531/prm1505310014-n1.html