大師寺 お知らせ

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お知らせ

大師寺 からのお知らせ

2010年05月19日

知恵・・勝れた人は尋ねずとも

『勝(すぐ)れた人は尋(だず)ねずともよい知識を授けてくれる、

悪い人は尋(たず)ねても間違ったことばかり教える、

菩薩(ぼさつ)様は八つ当たりしても慈(いつく)しんでくださる、

閻魔(えんま)大王は大切に扱(あつか)っても人間を死に追いやる。』

 

 

*日本の仏教では、菩薩より如来のほうが格が上である。仏教の故郷のインドでも、この点は同じである。

菩薩は、悟りを開いて如来となることを目標に修行に励んでいる、いわば途上の存在なのだから、

如来が菩薩の上に来るのは同然の話といっていい。

如来はすでに悟りを開いてしまっているので、悩める衆生にとってはいささか縁遠い。

救ってくださるにしても、上からの救いであって、なにか抵抗がある。

その点、菩薩は能力がありながら、あえて悟りを開いて如来にならず、悩める衆生と同列にいて、一緒に苦しみながら、

救ってくださる。

また、如来になってしまえば、この俗世に生まれてくることもなくなるが、菩薩なら何度でもこの俗世に生まれ変わって

救いの手をさしのべてくださる。如来になってすましていないのが偉い、と考えるのである。